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管楽器演奏者が知っておきたいアンブシュアのトラブルと対策

管楽器演奏者は、それぞれの楽器にあわせて、かなり特殊な口まわりの使い方を行っています。そのことで生じる口腔のトラブルには、どのようなものがあるのでしょうか。管楽器演奏者の特性に詳しく、先頃アンブシュアの国際学会の第1回大会に唯一の日本人研究者として参加された服部麻里子先生に解説していただきました。

アンブシュアとは

アンブシュアとは管楽器を演奏する際の気道や口腔領域の組織や器官の形態、状態を言います。すなわち管楽器の音が出るまでの過程について論じるときに用いる概念です。 口腔周囲筋と歯並びや歯の状態によっては、アンブシュアで様々な問題が起こることが知られています。

トラブルと治療

  「バテ」の問題  
歯並びや顎の骨格は個人により異なりますが、楽器の演奏法を学ぶときは、画一化されたアンブシュア指導がなされることがほとんどです。特に西洋人と日本人では口腔内の形態や歯並びが異なるのですが、西洋の教則本通りのアンブシュアを指導してそれ以外は誤りであるとすることにより、本来の個々人の持つ効果的なアンブシュアではないものを強制されることがあるようです。そのことにより、バテやすいという問題が起こることがあります。まずは管楽器奏者一人一人が口腔周囲の筋の種類や働き、自身の歯並びや歯の状態について理解することが大切であると考えられています。

管楽器奏者のアンブシュアの問題への治療 
金管楽器奏者で歯並びに問題がある場合、上顎の歯の形態を変化させたり、アダプターという装置による治療がなされることがあります。木管楽器奏者で下顎前歯の歯並びが「叢生(そうせい)」という入り組んだ状態になっていると、リードと前歯に挟まれた口唇に傷ができることがあります。これには歯科医院で製作する「リップシールド」という装置(イラスト参照)が役に立ちます。リップシールドは「木管用アダプター」「アンブシュアエイド」などとも呼ばれ、前歯を覆う取り外し式の装置です。通常は下の前歯を覆う形ですが,上下両方の口唇で音を作る「ダブルリップアンブシュア」の場合には上の前歯に装着することもあります。 

歯列矯正について
演奏するから歯列矯正は無理だ、と思っている方がいますが、多くの矯正歯科医師が、矯正器具をつけたままでも楽器演奏が可能だとしています。ただ、矯正歯科医師によっては「舌側矯正」といって、装置を歯の表ではなく裏につけるものを勧めることがあります。
唇や頬粘膜の損傷防止にはなりますが、管楽器演奏においては「タンギング」(下を歯の裏側に当てる)が大変重要であるため、タンギングへの影響を考えると、歯の表に装置を付けるものとどちらが良いとは言えません。また管楽器の演奏により歯が歯周病になることはないと言われておりますが、楽器が歯に当たる圧力が、歯の矯正の力として働く可能性はあります。管楽器によって歯が動く方向が、矯正によって動かそうとする方向と反対の場合は矯正治療が長引くことがあります。

熟年奏者の問題
熟年奏者の問題としては歯周病、歯の欠損があります。歯周病により歯の動揺がある場合は「リテーナー」という装置を用いて歯を固定し、演奏することができます。歯の欠損の場合は義歯を装着し、演奏をすることができます。総入れ歯になっても演奏することが可能ではあると言われていますが、演奏用の特殊な義歯が必要な場合もあります。

アンブシュアに関するトラブルや治療については、ほかにもさまざまな例がありますが、今回はその代表的な例をご紹介いただきました。 人によって、口や歯や顎などの状態はさまざまですし、生じるトラブルもそれぞれ異なります。もしトラブルを感じたら、まずは歯科医にご相談することをおすすめします。

■アンブシュアの国際学会が発足

服部麻里子

 International Educational Project for Embouchure というアンブシュアの教育に関する学会の第1回学術大会The Amazing world of Embouchure and Singingが、2013年11月2日にオランダのフリースランド州リハビリテーションセンターにて行われました。

 リハビリテーション医学の専門科であるKees Hein Woldendorp氏と理学療法士でトランペット奏者であるHans Boschma 氏両大会長のもとで「Facts and Myths」をテーマに、15演題の講演が行われました。参加者はオランダ、ドイツを中心とした学生、音楽家、音楽指導者、理学療法士、作業療法士、医師、歯科医師など合計約230名でした。

 耳鼻科医師であるMatthias Echternach教授は楽器演奏時の口腔周囲の運動についてMRI画像を用いた解説を行いました。神経科学者のEckhart Altenmueller教授は脳研究の成果から管楽器奏者のジストニアのメカニズムについて考察しました。指揮者のThijs Oud氏は自らのオーケストラを率いての講演で管楽器演奏のウォーミングアップ方法の実演を行い、歌手のRonald Douglas氏による歌唱についての参加型ワークショップも行われました。また日本からは歯科医師である筆者が参加し、オーボエ奏者の外傷による骨折と歯の欠損に対しインプラントを用いたリハビリテーションを行った症例を発表しました。

 アンブシュアについて科学的なデータを蓄積していくためには、さまざまな分野の専門家が関わって研究を遂行していく必要があります。科学者と音楽家の講演が交互に行われる中で、理論と実践の両側からのアプローチにより、より実際に即した研究とその解釈が行われることが再認識されました。

【参考文献】
・根本俊男 (1999)『すべての管楽器奏者へ ある歯科医の提言』音楽の友社
・根本俊男 (2000)『続すべての管楽器奏者へ 歯のトラブルは怖くない』音楽の友社
・M.M. Porter (1967)『Dental Problems in Wind Instrument.』 Playing British Dental Journal
・DKL Yeo et.at. (2002)『Specific Orofacial problems experienced by musicians. 』Australian Dental Journal
・Mariko Hattori et.al. (2015) 『Sound Analysis of a Musical Performance to Evaluate Prosthodontic Treatment for a Clarinet Player. 』Journal of Prosthodontics




執筆:服部麻里子(東京医科歯科大学 歯科医師・歯学博士)  制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2015.5作成]