芸術家のくすり箱は、ダンサー・音楽家・俳優・スタッフの「ヘルスケア」をサポートし、芸術家と医師・治療師・トレーナーをつなぐNPOです。
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私流ヘルスケア:岸 正人さん(劇場運営・制作)

劇場スタッフとして考える傷病対応

公演にかかわる自覚

昨年第1弾を頒布した「公演救急ガイド」の改訂版をこのたび公開するにあたり、このガイドを使っていただく制作者の方々にむけて、よりリアルな現場をご紹介いただきたく岸正人さんにお話しをうかがいました。

――アーティストが実力を発揮するうえで、もっとも身近にいる制作者の方に、ヘルスケアの視点をもっていただければ、と芸術家のくすり箱では期待しています。

 劇場の安全、傷病対策というと、対象として劇場に鑑賞にくるお客様やワークショップ等の参加者、劇団や制作会社などの館を使用する利用者、技術スタッフ、そしてプロデュース公演の出演者等が考えられます。芸術家のくすり箱さんがメインとするのは出演者、というところですね。私からは劇場の立場として、お話したいと思います。

 出演者の傷病ということでいえば、ホットなのは、今期中にインフルエンザで首都圏の劇場で3つの公演が中止になったということですね。1人発症したときに、代役をたてることも検討されたけど、次の発症者がでてどうしよう、また次に・・となり、「もう無理だね」に至ったと関係者に聞きました。
 公演が中止になると、チケットの払い戻しで収入がもちろん減るわけだけど、そもそも予定していない払い戻しや中止の広報や手続きの費用も相当かかります。また、その公演が公的助成金を得ている場合、助成金が取り消しになったり減額される可能性もあります。それらの損害をだれがカバーするのか、ということはケースバイケースですが、そういったときのことも考えて契約を結ばないといけないなと思います。イベント中止保険というのもありますけど、掛け金が非常に高くて、公演規模によっては現実的ではないかな。劇場として、公文協の保険等に入ってはいるけれど、そんなにいろいろカバーするものではないとも聞いています。
 対応策でいえば、プロデュ―ス公演なら、出演者やスタッフが予防接種を受けるくらいしかないのですが、予防接種は1回3,000円くらいなので、10人で3万円程度なら必要経費として負担してもいいと思います。もちろん、強制できないし、行っても100%かからないわけではないけれど、公演中止となったら損害が大きいし、手洗い、うがい、マスクをするということも含めて、できるだけ対策したほうがいいなと非常に思います。

 企業なら、社員は会社の資本ということで、健康診断は年1 回必ず受けるとか産業医がいるとか、いろいろなケアがありますが、アーティストは所属する事務所によりますが、多分そんなにしてもらえるものではないと思います。そうなると、自己管理ですよね。病気になると、個人的な収入だけでなく周りにも影響がでてしまうので、資本である身体、精神も含めたケアについて多少自覚が必要だと思います。スタッフも、翌日のために飲みすぎない、という基本的なことを含めて、やはり自分で十分に、自分の体が資本ということを意識していただきたいです。

さまざまな人にかかわる認識とリスク管理

――制作者は経験を積んで学ぶ、というのが常ですが、怪我や病気の対応は、経験よりも前に制作者の役割として学んで備えてほしいと思うのですが。  

 そうですね。やっぱり劇場というのは、出演者だけでなく、技術関係の方の事故も少なくないので。奈落に落ちたり、照明の方の仕込みの時の事故などで亡くなっている方もいますし、表にでていない事故もあると思います。そういった面では、安全管理というのを、高地作業はヘルメットをかぶるとか安全帯を付けるとかだけでなく、一般的なことになりますけど、綿密な事前の打ち合わせや無理なスケジュールにしないという面まで制作者として心得ておきたいですね。
 演者さんはそれこそ専門性を身体の中にもっているので、キャリアを諦めなくてはならないような事態にならないよう、なにかおこったときには劇場にいるすべてのスタッフが手助けできるような基本的な体制と、制作者には想定される事態に対応できるような基本的な救急等の知識を持っていてもらえればと思います。
 もちろん、劇場では事故の時の対応マニュアルはあり、命令系統図は作られてはいます。また、館のスタッフであれば、消防署などの救命救護の講習は受けて、救急箱も館内に備えています。
 それから、今、公立劇場というのは社会包摂として、たとえば高齢者や障害者の方が観劇出来たり、ワークショップ等に参加できるようにすることが求められています。普通に中高生向けにワークショップをやる場合でも怪我の可能性はありますが、それ以上に気遣いや、手間をかけなければならいのですが、スタッフがそのための専門的な介護やケアの教育や訓練を十分に受けているわけではありません。あまりそのあたりは意識されてないということは今後の課題に思います。アーティストもそういった方々に向けてワークショップを手がける方もいて、それは非常にいいことなのですが、同じ状況だと思います。

きりのない制作の仕事をどうとらえるか

――大学でも教鞭をとられていますが、制作者になろうという方は、劇場だけでなくフリーランスで活動する人もいると思います。彼らが身につけるべきスキルはどういうことでしょうか。

 大学では、「専門性をみいだす」ことと「ネットワークを広げる」ことを伝えます。アーティストと一緒に作品をつくっていくのか、ワークショップなどの教育的な志向なのか、国際交流なのか、なにをやっていきたいのか自分の興味がどこにあるのかをつかんで専門性を高めていくことが大事ですし、シンポジウムや学会に参加してネットワークを広げていると、その専門性をいかせるような仕事に近づくこともできます。
 それから、これからの制作者に伝えたいのは、長く良い状態で働けるような環境は、長期的な観点をもって自分でつくっていかないといけないということです。
 劇場関係者でも、いわゆる心の病気で休んだり、辞めたりする人も少なくありません。制作の仕事ってきりがないじゃないですか。チケットがすぐに完売になればいくらか手は離れるのですが、売れていないとどんどん仕事は増えます。それに、自分が手掛ける公演だと思い入れがあって、どうしてもこうやりたい、ああやりたいということがでてきてきりがない。もちろんアーティストの方も同じだと思うのですが、どこかで自分を管理しないと肉体的にも精神的にも負担が大きくて続けることができなくなってしまうのだと思います。

 企業が、5年後、10年後と長期的な視点をもって永続的に発展させるように、カンパニーや劇団も将来的な長期的視点をもっていると健全なのかな、と思うところはありますね。ピナ・バウシュの舞踊団は、ピナ・バウシュが亡くなっても続いているじゃないですか。演出家が亡くなってもどうしても続けて、ということではないですが、ある種の表現方法や社会的使命を団体として永続させるという長期的な観点です。そんな観点で、団体としても個人としても考えると、健康面でも違ってくるのかなと思います。目先の活動が中心になるのもわかるのですが。例えば劇場関係でいうと、スタッフに現場の制作だけでなく、将来的には劇場の運営や経営とか、会社でいうところの管理職のような業務も視野に入れて、組織全体のヘルスケアの対応やリスク管理を向上させていくということも必要と、立場的には伝えたいですね。

岸正人(きし・まさと)
あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター) 支配人/NPO法人Explat 発起人
大阪芸術大学卒。1986~96年青山スパイラルにて運営と演劇・ダンスの制作に携わる。その後、フリーランスとしてダンスカンパニーの海外ツアーや海外招聘を手掛け、98年より世田谷パブリックシアターにて制作や貸館運営を担当。2001年より山口情報芸術センターの開設準備、制作課長、08年より神奈川芸術劇場の開設準備、広報営業課長を歴任。12年4月より現職。16年4月より豊島区が19年に開館予定の新ホールの劇場等開設準備室課長を兼務。玉川大学芸術学部パフォーミング・アーツ学科非常勤講師。 ※プロフィールは、インタビュー実施の2017年3月時点のものです

制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2017.3作成]