芸術家のくすり箱は、ダンサー・音楽家・俳優・スタッフの「ヘルスケア」をサポートし、芸術家と医師・治療師・トレーナーをつなぐNPOです。
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公演サポート・インタビュー (3) 東京バレエ団

「公演サポート・インタビュー」シリーズ、2015年度版最終回は、東京バレエ団芸術監督の斎藤友佳理さんの登場です。古典バレエはもちろん、ベジャールやノイマイヤーなど、世界の巨匠の名作やオリジナル作品まで幅広いレパートリーを持ち、国内最多級の公演を行っている東京バレエ団。芸術家のくすり箱では、昨年12月の「シルヴィ・ギエム<ライフ・イン・プログレス>」公演と、翌1月の「白鳥の湖」の2公演でダンサーサポートプログラムを実施しました。

芸術監督の視点からみたダンサーのヘルスケアとは......。

  写真:「白鳥の湖」/撮影:長谷川清徳(写真左[上] 第2幕、右[下] 第3幕)

ダンサーはまず健康であること

──ダンサーのコンディションを良くするためのケアは、舞台作品を作り上げるうえでとても大事なこと。ところが日本ではさまざまな制約から、作品を舞台に乗せるまでに大変な負担がかかり、主体となるバレエ団はダンサーのケア体制を取り入れた方がよいと思いながらも、ケアは個人にまかせている状況ですね。

斎藤:そうですね。バレエは身体が健康でないと踊れません。身体全部を使うので、ダンサーは全身をいい状態で維持するために、普段の生活からものすごくエネルギーを使います。目に見えないちょっとした身体の変化も、すごく踊りに影響しますし、舞台にあがればさらなるプレッシャーや緊張などもあり、全てに対峙するには、本当に体が健康でなければできないことなんです。ですから、ダンサーたちの健康のことを真剣に考えてくださる今回のサポートチームができたというのは、画期的なことだと思います。

──ケアの体制がないと、みんな根性で乗り越えなければならない。

斎藤:ほんとにそうですよね。日本では痛めているのに我慢して舞台に出ることが美談になってしまうところもありますよね、それはバレエにとって全然プラスにならないし、将来のことを考えるとむしろマイナスです。海外では、日本人的な根性みたいなのはあんまり通用しないんですよ。「痛みがある? じゃあ踊らない」と、白か黒かがはっきりしている。苦しい思いをしてまでやり続ける、というのはあまりないですね。

──休みにくいのはバレエに限らず、日本的な文化なのかもしれないです。例えば、一般の企業でも有給休暇が制度としてはあっても風土として取りにくいとか。

斎藤:それは絶対あると思います。
ヨーロッパやロシアでは、身体に対するバレエ界の考え方が全然違うんです。例えば私がロシアのボリショイ劇場でレッスンを受けていたときの経験ですが、廊下にダンサー全員の名前を書いた1か月のスケジュール表があって、女性は3日間赤い線が引いてあるんです。小学校のときからずっと、生理のときには踊ってはいけないと教育されていて、男性もそれをみて自分のリハーサル相手が休みでも「ああ、今日は生理だから来てないのだな」とわかる。その年頃は、将来子どもをつくるために大切にしなければいけない時期。だから逆に生理のときに仕事をしたら許されない、そういう環境が整っています。

怪我とか以前に、それぐらい国がちゃんと女性の身体を大切にしているんです。だから今、団員から「今日はどうしても生理で辛い」「めまいがする」と言われたら、すぐに「やめて見ていなさい」とか「帰った方がいい」と言います。本当に何よりもまずは健康が第一。それは今までもそうだったし、これからも貫いていこうと思っています。

ダンサーたちの反応は?

セルフケア法のワークショップ「股関節のつまりを防ぐストレッチ」

──今回のプログラムに対するダンサーからのアンケート結果をみると、今後も公演にトレーナーを配置してほしいという声が多くありました。メディカルチェックもワークショップも好評で、こういう場があったらいいですよね、と直接お声をいただくこともありました。

斎藤:私がこのバレエ団を指導する前にいたロシアのダンチェンコバレエ団もボリショイ劇場も、どこのバレエ団でも、必ずトレーナーが付いてるんですよ。それで、レッスンが終わった後に予約を入れられるようになっていて、同じ建物の中に診てくれる場所があって、というのが当たり前のことなんです。

 東京バレエ団では、年度が切り替わるタイミングで団員全員とひとりずつ面接をするんですが、今年はみんなが声をそろえて言ったことがありました。今回初めて公演中にトレーナーが付いていてくれて、良かったと。

 みんなの話では、やっぱりダンサーの身体のことをわかってくださっている方が付いていてくれるというだけで、ものすごく精神的に違います。自分ひとりで痛みを抱えていると不安ばかりが大きくなりますが、トレーナーの方と状況を共有して、「君はこうこうこうだからこれだけ痛いんだよ、こういうふうにしたら治るんだよ、大丈夫だよ」とアドバイスや施術を受けられると、その安心感だけでも全然違うんです。そういう意味でもダンサーがみんな、このくすり箱のプログラムに感謝していました。

 自分の身体にちょっと「痛い」「おかしい」と思うことがあったらすぐにそこで専門家に相談できる体制がよいと思っています。特にダンサーの痛みや違和感は、切り傷と違って目に見えないところに起こることが多いので、自分では判断しにくいですから。今後もそういう環境の中でバレエと向き合っていきたいと、私も思います。

──そうですね。現場に専門家がいると、痛みなどに対して、病院でちゃんとレントゲンやMRIを撮って診察をうけた方がいい状態か、という判断ができますね。コンディショニングやトレーニングでカバーする方法を伝えることもできます。ダンサーがひとりで痛みを抱えて、もやもや悩んでいる間に悪化させてしまうことを避けるためにも、気軽に相談できる環境は大切ですね。

ヘルスケアは、舞台をつくる共同作業

──「ダンサーサポートプログラム」が最終的に目指しているのは、ダンサーが「怪我をしない」とか、「痛くなかった」だけではなく、その結果みなさんにすばらしい舞台を届けるお手伝いができたかということですが、その点はいかがでしたか。

公演中は楽屋のひとつを治療ルームにして個別ケアを実施

斎藤「白鳥の湖」の公演は、私にとって芸術監督になって最初の大きな仕事で、演出も衣装も全てを変えて、ただでさえとても大きなプレッシャーがあったのに、怪我人も、インフルエンザも出て、もう生きた心地がしなかったんですよ。そのときに本当にタイミングよく、くすり箱さんのサポートチームが居てくださって、"一緒に乗り越えていただいた"ように感じています。最終的にはよい公演になったと思いますが、あのときトレーナーの方がいなかったら、踊れない人がいたかもしれない・・・。まさに、舞台をつくる共同作業ですよね。ダンサーに対する芸術的な指導と、健康面でのケアという、両者の共同作業で1人のダンサーが世に出ていく。そこでどちらが欠けても出て行けないんだと思います。

──ヘルスケアは芸術の質に影響すると。

斎藤:もちろんです。バレエは、アスリート並みに体を使いますが、スポーツのように、速さや高さ、点数とかの数字に対して1位、2位と順位をつけるものではありません。バレエという芸術は、肉体的にはアスリートでも、精神面を表現するものです。だからダンサーが舞台にかける精神的な部分が、最終的に舞台上でみせる結果とすごく関連性がある。その精神面でも、今回のサポートは最高の支援になったので、そういう意味でもダンサーとヘルスケアは切っても切り離せないことだと思います。

バレエダンサーと治療・ケア

斎藤:バレエのことをちゃんと理解して診てくださる方は、まだ少ないでしょう?

──そうですね。実際に、日本ではトレーナーや治療師の方がバレエの現場に入っていくチャンス自体も少ないですから、今回のような機会をいただけたことは、本当に貴重です。ケアをする専門家の方も、治療院で横になっている状態のダンサーではなく、目の前で動くダンサーを見ることで、目指すパフォーマンスを共有できるのは重要ですので、その面でも医療やトレーニングの方とバレエの現場をつないでいくことが、私たちの役割だと思っています。

斎藤:そうですよね。将来に向けて、今から取り組まなければそのような人材は育ちませんし、理想的な環境にはいつまでたっても近づくことはできませんよね。バレエのことが好きで、そのケアを探求したいという方に機会を提供して、バレエのクラスやリハーサルを見たり、振付も理解してもらえたらいいですよね。

──海外のバレエ団では必ずトレーナーや治療師がいるとおっしゃっていましたが、ほかにダンサーのケアや、パフォーマンスを仕上げることについて見習うべきことはありますか。

斎藤:......もうそれは特別なことではなくて当たり前なんですが、ダンサーというのはケアをしながらでないと前進できないという考えがあります。一の例をあげれば、あれだけ身体的条件に恵まれたシルヴィ・ギエムが公演に必ずトレーナーを連れてきていましたし、トレーナーとダンサーとは切っても切り離せない関係だと、彼女自身が言っています。自分は以前はこういう身体の使い方をしていなかった、でも彼女がいるからこの歳まで大きな問題なくやってくることができたと。

将来のバレエ界のために

──公演ができる劇場が足りない「劇場問題」についても発信されていらっしゃいますが、どんな劇場がダンサーにとってよいのでしょうか。

斎藤:舞台の奥行きがなくて後ろが使えなかったり(上演中、舞台奥を通って下手から上手に移動ができない)、床が硬かったりするのは論外。そういう悪条件ではダンサーの負担が大きすぎるので、踊らせたくないですね。最近は地方にいくつもよい劇場ができています。ただ、新しすぎて、すべてをコンピューター制御にしてしまったことで問題が起きてしまった劇場もありました。芸術って生き物だから、一期一会で何が起こるかわからない、何かが感じ取れたり感じ合えたり、芸術でしか得られないすばらしい瞬間が生まれることがあります。そうした間合いをはかったり、急なトラブルに対応したりするのは、コンピューターではなく人間でないと操作できないんです。

──なるほど。

斎藤:それから、主役の人が本番に集中できるよう、個室の楽屋を用意してあげたいし、みんなが気持ちよく衣裳を着られるよう洗濯や乾燥できる衣裳さんのスペース、それにちょっと舞台から離れられる治療・ケアスペースも必要。劇場によっては、照明の距離が近すぎてスポットライトがきつく踊りに支障がでるほどのところもあります。音の響きももちろん大事だし、緞帳、オケピット、観客とのいい距離感というのもありますから、劇場をつくるときにはバレエやオペラの専門の人を交えて、よいものを作ってほしいと思います。中途半端なものを5つ作るより1つよいものを建てて共有するほうがずっといいです。
......もう、話し始めたらとまらなくなっちゃいますが(笑)、とにかく、次の世代の子たちが、バレエでもオペラでも芸術を日本でできることを誇りに思ってもらいたいし、自分の母国で、自分を育ててくれた人たちに踊りで恩返しができるような環境にしなくては、だめですよね。時間はかかっても、文化芸術を無視して将来はないと思います。

斎藤友佳理(さいとう・ゆかり)母のもとで6歳よりバレエを始め、ロシアに短期留学を重ね、M.セミョーノワやE.マクシーモワに師事。1987年東京バレエ団入団。詩情あふれる典雅な踊りとドラマティックな表現力で、古典作品から創作バレエまで数々の舞台を主演。海外での客演も多数。2002年『ユカリューシャ』を世界文化社より上梓。05年平成16年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。09年ロシア国立舞踊大学院バレエマスターおよび教師科を首席で卒業。10年『オネーギン』バレエ団初演でタチヤーナを演じ、第27回服部智恵子賞、東京新聞の舞踊芸術賞、横浜文化賞を受賞。11年より国立モスクワ音楽劇場バレエにて、ピエール・ラコット氏のアシスタントとして『ラ・シルフィード』を指導。12年、紫綬褒章を受章。14年、神奈川県文化賞を受賞。15年8月に東京バレエ団芸術監督に就任。



チャイコフスキー記念東京バレエ団 1964年創設。1966年にモスクワ、レニングラードで公演し、ソビエト文化省より"チャイコフスキー記念"の名称を贈られる。創立以来、古典の全幕作品から現代振付家の名作まで幅広いレパートリーを誇る。モーリス・ベジャール(『ザ・カブキ』『M』)、イリ・キリアン(『パーフェクト・コンセプション』)、ジョン・ノイマイヤー(『月に寄せる七つの俳句』『時節の色』)ら現代バレエ界を代表する三大振付家によるオリジナル作品を上演。またウラジーミル・ワシーリエフの『ドン・キホーテ』、ナターリヤ・マカロワの『ラ・バヤデール』、マッツ・エックの『カルメン』、ノイマイヤーの『ロミオとジュリエット』など、当代一流の振付家の作品をその指導により上演している。これまで754回の海外公演を行い、"日本の生んだ世界のバレエ団"として国内外で高く評価されている。(公式サイト)

東京バレエ団・公演情報    

●「くるみ割り人形」
[日時]2016年12月16日(金)19:00、17日(土)14:00、18日(日)14:00開演
[会場]東京文化会館
[出演]クララ:沖香菜子(16・18日) 川島麻実子(17日) / くるみ割り人形:ダニール・シムキン(16・18日) 秋元康臣(17日)ほか

制作:NPO法人芸術家のくすり箱 [2016.10作成]